こんにちは!    コアクルーの栗山のぞみです。

私は、アトリア参宮橋のワークショップで、また、ワタシクリエイト・アカデミアのコアクラスでNVC(非暴力コミュニケーション)をお伝えしています。

NVCでは、「観察」「感情」「ニーズ(必要/大切にしていること)」「リクエスト(お願い)」という4つの要素に着目して、対話のプロセスをすすめていきます。今回は、NVCの観点から「感情」に関わるお話をご紹介します!

多くの場合私たちは、「感情的になってはいけない」「自分で自分の感情はコントロールしてしかるべき」と思っています。あるいはそのように教えられて育ってきています。すると「感情」を「ないもの」として日常を過ごすのが当たり前になってしまいます。

ですが、NVCでは、存分に「感じること」をお奨めしています。

自分の内側に湧いてくる「感情」を大切にすること、それをきちんと”感じる”ことが実は、自分自身を自由にし、開放することにつながるからです。

え!    と思いましたか?


そう。「感情を味わうこと」と、「感情に振り回される」こと……はまったく別ものです。

1年ほど前の私の体験です。

その日私は、早朝から80代半ばの母をつれて大学病院の物忘れ外来へ来ていました。ずいぶん前から母が認知症になりかかっているのでは?    と思いながらも受診を先延ばしにしており、ようやくかかりつけ医から紹介状をもらってやってきたのです。

”大学病院って人がいっぱいいるのねー”と興味津々で興奮しつつ、また、場違いなところへ来た緊張感も持ちつつ、インフォメーションで物忘れ外来への行き方を聞くと、「診察券を通して6階へ」と言われました。

6階の受付に行くと今度は「紹介状を1階の初診受付に出してきて」と言われたのと同時に問診票を渡されました。それはかなりのボリュームがあったので、ベンチに座って書いて出してから「では、もう一度1階に行ってきます」と伝えたところ、受付の人は「あ、まだ行ってなかったんですか。1階でも待つのでその間に問診票を書いて……と言ったのですが」と。

母を連れて、病院内を上へ下へと移動して、1階で紹介状を出すために順番を待っていたら(そう、提出するのにも順番待ちです)、なんだか急に切なくなってしまいました。
 
そのとき私は、自分の喉の奥が熱く締め付けられてくる動きを、からだの内側の目で見ていました。その動きにゆっくりからだ全体を委ねるようにして、「ふ〜」っと息をはいたら、嗚咽することもなく、静かに、両方の目から涙がポロリ、ポロリと流れ落ちました。

涙がふた粒だけ、頬の上を流れ落ちるのを皮膚感覚に集中してしっかり感じつくしました。
すると、ようやく息が胸の中に入ってきた……のです。椅子の背にもれて、少し、落ち着きました。

それは1分にも満たない時間で、一緒にいた母も、周りの人も私の変化に特に気づいた様子はありません。

1分未満であっても、私はこのとき自分のために時間をとって「感情を感じることを許した」のです。そのことを、自分で、選んで、自覚的に行いました。

感情の中にはいろんなものが入り混じっていました。
切なさ、孤独感、大学病院というシステムに馴染めず(普段使わないのだから当たり前!)うまくやれていないという自分への評価と焦り、今後の母との生活の見通しの不安……。

こうした感情を感じたからといって、それらがなくなるわけではありません。
でも感情が「在る」と認めるところから、息ができるようになり、自分を見ることができて落ち着いてきます。そして次の行動へと目を向けられるようになってくるのです。

そのあたりのお話は、また今度!

みなさんも日常のなにげない一瞬に、「いま、自分は何を感じているだろう?」と、からだの内側から自分を眺めてみてはいかがでしょうか?    一呼吸のあいだにできることですので、ぜひ、やってみて!