あけましておめでとうございます。新年、またすべての人々はひとつ年をとりました。平等にひとつずつ。

「発達」と聞いてみなさんが思うイメージはなんでしょうか。
なんとなく、子どものことだと思う人が多いかもしれません。
最近だと「発達障害」なんて言葉の方が先行することも。

心理学において発達とは「受精から死に至るまでの人の心身、社会的な関係の量的質的変化変容」のことなので、ようするに、「生まれてから死ぬまでに自分が変わっていくその様子」のこと。まさにワタシクリエイト!?

「大人は発達障害の成れの果て」と言ったのは知り合いの小児科医なのですが、いや、まさにそのとおりで、みんながみんな、なにかしらの認知の特性もあるし、発達しきれないものを残していて、それがそれぞれの「ちがい」でもあるわけです。そもそも人間に平均値などを当てはめること自体が間違っているのですが、おくれる、はやい、なども含めて「比べる」ことがあたりまえになってしまったこの社会。

「ふつうは」撲滅運動を勝手に初めてはや20年。「ふつうはこうでしょ」に反抗するための運動ですが、やはりまだまだな感じもあります。

ほとんどの「問題」は、この「ちがい」が「おかしい」と他者の評価軸で比べられたことによる二次障害のようなものだと思っています。
特に最近は、高感受性(HSP)の方々が被害を受けているような印象です。

「そんなことで傷ついてたら大人になったら大変ね」
「そんなこといちいち気にしてるの」
「みんなに合わせることも大事だからね」

といった言葉たちに対し、
「傷つく大人の方がいい」
「いちいち気にするわたし尊い」
「合わせないことも大事だ」

と思えるような心理的発達を、多くの大人たちは阻害されてきているかもしれません。

ではどうしたらその「自分の軸」を発達促進できるんだろう。そして自分自身がなにを阻害され、本当はどう育ちたいのだろう。そもそも自分の「特性」はなんだろう。

みんなちがうことが魅力です、なんていうと、「きれいごと」になることも多かったこれまでを、本気で変えられるのは、専門家でもなく、研究者でもなく、「わたしたち」という一人ひとりなのだよなあ、と思うようになってきました。

発達心理学、認知心理学、哲学、教育学、脳科学、さまざまな分野横断の研究(古典も大事、そして先端も大事!)と、多くの特性豊かな子どもたちとの出会いの経験で得た自己変容も含め、おとなが発達促進するじかんをROOMとしてシェアできれば嬉しいなあと思っています。